はちみつ




 朝靄の早朝。いつものように誰よりも早く目が覚めてしまい、ため息が出た。
次の朝こそは。と、いつも願いながら眠りにつくのに、決まって同じ時間に目が覚めてしまう。いったい誰の仕業なのかしら。
あまりにも、毎朝同じ時間に目が覚めてしまうので、誰かの仕業に思えてきて、つい、こんな朝早くに起こすのは誰なのかと見も知らぬ誰かのせいにしてしまっている。
見上げた時計はいつもとまったく同じ時間を指しているし、建物の中からは物音一つしてこない。 目蓋を閉じても、もう眠れない事は何度も挑戦済みのことなので、今では朝食の時間まで窓を開けて外の景色を観察する事にしていた。

 立て付けの悪い窓をギリギリと音を立てながら思い切り押し開く。勢いよく開いた窓の音で、誰かが起き出すんじゃないかと少し期待をしてみるのだが、 それも毎朝の事で、もう飽きてしまっていた。開け放った窓から、いつもより冷たい空気が流れ込んできた。
まだ、夏も終わりきれていないのにと、ベッドの上の少し広めのタオルケットをつかみ寄せて肩から包まるように羽織った。
ほわほわと冷たい空気が部屋の中へ忍び込み、差し出した手を包み込むようにまとわりつく。包まれている感じはするのに、つかむ事の出来ない変な綿のようだ。
まとわりつく霧の濃さに負けないよう、いつものように窓の桟に肘を乗せて頬杖をついた。
あまりに濃い霧のせいで外の景色は見えないけれど、毎日見ている景色だから、どこに大きな杉の木があるのか、その奥に続く小道の様子やその向こうの小さな家の位置などがぼんやり分かった。
そして、決まって窓へと手を差し伸べている家の囲いの外に生える大きな木の枝に青い鳥がとまっているのがかろうじて見える。
ちいさな青い鳥がいつも同じ鳥なのかはわからないけれど、いつもいつもその枝に止まっているので、今日は思い切って声をかけてみることにした。
「いつも私を起こすのは、お前なんじゃないの?」
 窓の桟に手をかけて、鳥に届くように声をかけてのだが、濃い霧のせいで鳥がこちらの方を見ているのかもわからなかった。
返答もなさそうなので、肩から落ちかけたタオルケットを直しながら青い鳥から目を離したその視界に、すばやく動く人影が映った。
こんな時間に起きている人を見るのは初めてで、その人影を見失わないように目を凝らしてみた。でも、濃い霧のせいで見える範囲は限られていて、すぐに見えなくなってしまった。
あの人はこんなに朝早くにどこへ向かっていたのだろう?窓から身を乗り出したまま 考えていると、また視界に人影が飛び込んできた。
今度こそは見失わないようにと思っても部屋の中からでは限界がある。でも、表の玄関口に回っていてはもっと分からなくなってしまう。
 女の子なのだからあまり人に見られて困る事はしてはいけないのに、と、ちょっとためらいもしたが、どうせ誰も起きていなくて見てないのだからとベッドの横にちょこんと並べてあるブーツを乱暴に履くと、窓へ伸びている木の枝へと手を伸ばした。
夏の初めに弟のテッドがこの木に登って怒られたのを見ていたし、その時もこちら側から木に飛び移っていた。小さなテッドでも飛び移れるのだから、きっと大丈夫と自分を励まして木にしがみついた。
思っていたよりも木がしなって思わず悲鳴が出かけたけれど、人影がどんどん見えなくなっていることに気が付いてそれ所ではなくなった。 木の幹にしがみついて、幹のボコボコに足をかけながら、もう大丈夫というところまで来たところで、幹を蹴りつけて飛び降りた。
足の裏からじんじんと痺れを感じたけれど、立ち止まってはいられなかった。霧の間に人影を見つけて追いかけようと歩きかけた時、突然、肩に小さくて硬いものが食い込んだ。
「いたっ!」
 そんなに痛くはなかったのだけれど、突然のことに驚いて小さく悲鳴をあげて見ると、木の枝に止まっていた青い鳥が肩にとまっていた。
薄手のパジャマとタオルケットの上にからでも、鳥の足がとって硬く感じられた。
鳥なんて触った事も無いし、ここまで近くに来られた事もないのに突然肩にとまられ驚いて振り払おうとしたけれど、飛び上がってもすぐに肩の上へととまってしまう。
「ちょっと!勝手に肩に乗らないでよ!ついてくるっていうの?」
 ぶんぶん手で払いながら抗議してみたが、鳥は窓から声をかけたときと同じで答えもしないし、取り澄ましたように一点を見つめたまま肩から降りようとしない。
あきらめて、道案内もしてくれそうにない鳥を肩に乗せたまま、今では影も見えなくなった人影を探してみる事にした。


 しばらく人影が向かったと思しき方向へ向かって歩いていると、だんだんと濃かった霧が晴れてきて、人影は一つだけではなく、周りにはたくさんの人がいることがだんだんと分かってきた。
こんな朝早くから何をしているのだろうかと、慌てて木の影へと隠れようとしてのだが、気が付かないうちに、人々がいるど真ん中へ来てしまっていたらしく、どこの木へいってそこには人がいて、隠れ場所にはならなかった。
仕方がないので、何をしているのかを聞いてみる事にした。
「あの、こんなに朝早くから何をしているのですか?」
 すぐそばの木でせっせと何かをしている少女に声をかけてみた。栗色の髪を後ろで束ねた、黒いスカート姿の少女が、元気に振り返った。
「あ。」
 お互いに見知った顔を見つけ、なぜここにと驚きの声をあげた。お屋敷で働いている子だったのだ。よく周りを見回すと、すぐ傍にもお屋敷で見知った顔がたくさんあった。
もちろん、見たことのない人もたくさんいる。だが、皆同じような服装のものばかりで、見たことのない人達は他のお屋敷で働いている方なのだと一目でわかった。
「あ〜!」
 辺りを見回していると、傍の少女がまた声をあげた。何事かと見てみると、こちらに気を取られているうちに、手に持っていた棒から垂れた液で手がベトベトになってしまっていた。
「あ〜あ。もったいない」
 少女が残念そうに舐めている液体は朝日を浴びてあめ色に光っている。そっと顔を近づけてみると、甘いにおいが漂ってきた。
「それ、蜂蜜?みんなで蜂蜜を取っているの?」
 びっくりして、つい大きな声になってしまったが、少女は照れくさそうに、答えてくれた。
「そうですよ。ここ何日か、とってもいい蜜がとれてるんで、蜂が寝てる間に取りに来ているんです。
もちろんお屋敷で使う分もですが、自分達の分も少し」
 と言って小さな瓶に溜まったあめ色の液体を見せてくれた。
「だからお屋敷に誰もいないのね」
 朝早くに起きているのは自分だけかと思っていたので、こんなにたくさんの人が起きていて、もう仕事をしていた事に驚きながら一人ではなかったことに嬉しくなってしまった。
人々が蜂蜜取りに夢中になっているのを眺めているうちに、少女も自分の持ち場へと戻ってせっせと蜂蜜取りを再開していた。
その後ろからどんなことをしているのか覗き見ているだけでも、朝の高揚感と知らなかった事を知ってしまった興奮とで、とっても楽しかった。
そろそろ、日が高くなって来出した時、自分の持ち場で一段落終えた少女がくるりと振り返り、とっても神妙な顔をして手をとった。ちょっとベトベトした手が気になったが、自分も蜂蜜をとった気分を少し味わえた。
「このことは、くれぐれも秘密にお願いしますよ」
 少女は楽しそうに、あなたも秘密の仲間だというように、小さな蜂蜜の瓶をくれた。

「蜂達が起きはじめたわ!今日はこれでおしまいね」  誰かがそう言うと、それまで夢中になって蜂蜜を集めていた人々は蜘蛛の子が散るように、駆けてその場を離れだした。
蜂蜜の瓶をくれた少女もどこかへ駆けていこうとしていたので、あわてて声をかけた。
「ねぇ、あなた名前はなんというの?」
駆け去ろうとしていた少女は振り返って、いたずらっぽく笑って言った。
「キャロルです。フロラ様」
相手が自分のことを知っていた事に気恥ずかしくなりながら、分けてもらった蜂蜜をそっと舐めてみた。
その甘さと朝の屋敷内が静かな訳、ちょっとした秘密を知ってしまった事に嬉しくなった。
それまで、じっと肩に止まっていた青い鳥は、目的地にやってきたとばかり、空へと飛び立った。見送る先には他もたくさんの青い鳥が集まっていた。
「帰って来れてよかったね!」
たくさんの青い鳥に混じってしまって、どこに行ってしまったのかわからなかったが、青い鳥たちに向かって呼びかけた。
「やっぱり毎朝起こしていたのはあなただったのね!」
 早く起こされていた事は大変困る事どけど、こんな素敵な場所へと来る事が出来たのだから早起きもいいものだなと、蜂蜜の甘さにほだされながら思った。

 周りにいた人々も、もう朝の支度をしなければと各々の屋敷へと帰りだしたので、フロラも起きだした…いや、屋敷へ戻った人々や何も知らない母たちに見つからないうちにと慌てて自分の部屋の方へ駆け出した。


― 了 ―




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